2003.10.27 東京都三鷹
―先生は、作品の中で、直接的に社会問題を書かれることって無いですけど、作品に時代の空気感がありますね。
そうだね。
―結局どんな表現でも、時代の空気とは無縁でいられないんでしょうか。
そうね。やっぱり、ふつうに生活してれば、影響受けるよね。それが作品にも出るからね。 小学生の頃は、日曜学校に行って、帰ってきたら家で赤旗日曜版を読んでたけどね。 日曜版は、手塚治虫の連載マンガが載ってたりして、マンガが多くて楽しかった。
―赤旗を購読されてたのは、やはりご両親が先生だったから?
公務員や国鉄職員なんかは、購読者多かったよね。知り合いから回ってきて、付き合いで取るみたいな 部分もあったし。『週刊朝日』と『赤旗日曜版』を読みながら、教会に通っているような小学5年生だった。
―すごい小学生ですね(笑)。「右も左も」というわけでもないですけど、幅広いですね。
最初は、教会でもらえるきれいなカードとか、そういうのが目当てなんだけどね、教会通っていると、 進化論否定するような先生がいたりするわけ。
―ファンダメンタリストですね(笑)。
そのあと、6年生のときの先生は、『ヤングフォーク』(*18)に出てきたよ。そのひとは、そんなに過激では なかったけど、オルガン苦手だから、フォークギターで伴奏して、賛美歌うたう、っていう先生で。
―『ヤングフォーク』に登場する先生のモデルなんですか。
そう。あれは、実在の先生がモデルだね。
―先生のように、イデオロギーの洗礼というか、教会とか赤旗とか、そういうものに幼い頃から 触れていると、価値判断が、きちんとできるんでしょうね。
それでできたものが、エロマンガだけどね(笑)。
―世間には悪夢のような事件も多いです。先生はオウム教団や日本赤軍について、 ずいぶん興味をもたれていたみたいですけど、それはやっぱりフィクションより、 ノンフィクションがおもしろい、ってことですか?
オウムはほとんどフィクションの世界だね。『ありがとう』の終わりの頃と時期的に重なっていて、 '95年の8月頃だよね、現実のほうがおもしろくて悔しかった。
―オウムの人たちを見ていたとき、不思議だな、って思ったのは、彼らは価値判断ができない、 ってところなんですけど。
そうだね。子供の頃に、何かにかぶれる感じがあると、いいんだろうね。
―宗教とか政治思想じゃなくても、なにか夢中になるとか、そういうことですよね。 アイドル凄く大好きってのでもいんだろうし、マンガの熱狂的読者ってのでもいい。
うん。オウムの人たちは、コミュニケーションとれなくて、仲間内でモノローグだけに なってしまった結果だと思うんだよね。
―彼らのモノローグが反響してる感じがありますよね。
そう。養老孟司(*19)風に言えば、「身体」と「脳」が離れちゃってる状態。オウムもそうだけど、 連合赤軍のメンバーに関して言えば、彼らは高度成長、イケイケの時代の最初の受験戦争を くぐりぬけてきたひとたちな訳だけど、あの凄まじい私刑のなかでも生き残ってきた植垣さん(*20)というひとがいて。
―ええ。
彼はなぜ生き残ったかっていうと、技術を持ってた。メンバーの中で、登山がいちばんうまかったんだよね。 登山ってのは、脳と外界がいちばん結びついてなきゃならない、現実的なスキルが必要でしょ? 総括されそうになっても、外とのやりとりがうまくできて、「そうなんだ、そうなんだ、オレはダメなんだ」って思わない。 思っちゃう人は「わたしはスパイだったかも、しれません」なんて、つい言っちゃうわけ。
―それで殺されちゃうんですね(苦笑)。
それで、利用されちゃうっていう。彼にはスキルがあったから、生き残った。 ありふれた言い方で言えば、「適当に調子を合わせることができた」っていうことになるんだけどね。
―うんうん。
オレはスキルのある者だから、軍に必要な者だから「黙ってろよ」って口には出さないけど、思える。 自分に言い聞かせられる。殺されちゃった人は、それが思えない、みたいなことだね。
―「身体」と「脳」が離れていると危険ですね。
走りこみだね(笑)。何事も、体力だね。「身体」と「脳」のバランスってことだと思うけど。
―コミュニケーション能力ってのも、ひとと話をあわせる技術のことだったりします。
そう。コミュニケーションってのはすっきり行くもんじゃない。 すっきり行かなくて、中途半端に身悶えることが多いじゃない。 それが前提だから、手に職を持て、ってことかな(笑)。それが結局は、体力にもつながるしね。
―要は「走り込め!」と。
そうだね。今日のテーマは、体力だったのかな(笑)。『夢辞書』の話だったけどね。
―たいへん興味深い話をありがとうございました。